KYOTO EXPERIMENT2017

Unverinnerlicht (内在しない光) 日本初公演によせて

​田中奈緒子

 

 ドイツ語で Verinnerlicht とは、何らかの体験や情報を心身のレベルで取り込み、自分のものにする - 内面化することを言う。否定の接頭辞 un をつけた Unverinnerlicht は、

内面化されない、と訳すことができる。ここに開かれるのは、内面化されないものたちで満たされた空間である。

 私は、個人の内側にある世界は、宇宙に匹敵する無限の広さと深さをもっていると

思う。そしてちょうど宇宙が私たちの理解力の射程よりもはるかに上回っているように、私たちの内側にも、知られることのない、私が『内なる外界』と名付けたい領域がある。想像された過去と記憶された未来、そして表象された現在がそこでは隣同士に漂っている。      

 2013年の秋、次期五輪のコンペで「福島の状況は完全にコントロールされている」と

日本の首相は爽やかな顔で述べ、私はその顔を忘れることができなかった。数週間後、

フランスのある週刊誌に掲載された風刺画に対し、日本政府は極端な怒りの反応を示して世間(世界)を騒がせた。それは、終息にはほど遠い『フクシマ』の深刻な災害状態を

尻目に候補地東京を躍起になって押す日本政府を、醜くまた上手く狡猾にとらえた風刺画で、足が3本ある奇形の相撲力士が描かれていた。日本政府の子供じみた反応に私は

激しい憤りを覚えたが、それ以上にこの事件によって私が気付かされ愕然としたのは、

この大惨事にはそれを象徴する目に見えるイメージがないのだという、その残酷さの認識だった。それは放射能とそれに起因する被害が目に見えないからだけではない。私たちの世界の捉え方を巡って、私たちの外側からも内側からも何か大きな力が働き、見えるもの、見えないものを作り出している。私たちの内面世界で、その広い空間で。

 翌年、私は日本の廃校になった小学校で制作滞在中、私もかつて座ったことのある

JIS規格の椅子に出会った。幾人もの「子供」という存在の状態を十年以上に渡って登録

することを可能としてきた、その典型的な椅子をモデルに、私はふた回りほど小さな椅子のオブジェを作った。その形態は内から、または外からの圧力により奇妙に歪められて

いる。私は、彼らの浮遊する空間を、光を手掛かりに漂流する。その光は影を生む。影とは儚い現象で、物質と非物質の境界線上にあるという特徴を持っている。だからこそ、

私たちの内側の意識と外側の世界の関係を映し出す優れた媒体になれるのだと私は考えている。

 以上、今作品の制作背景について記させていただいた。一つ付け加えるなら、作品は『フクシマ』について表現してはいない、ということだろうか。それは存在への、意識への、時間への問いが幾層にも重なり合う深い洞窟への探検のようなものかもしれない。

願わくば、出会うもの全てが発見の驚きに溢れた子供の視点に戻って、皆が探検隊になれるなら。この作品が私たちの生きる今を見つめ、『内なる外界』を見つめるための、一つのきっかけになり得ればと願っている。

 

2017年10月 

© 2019 Naoko Tanaka