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The Faraway House
方の家 

空き家を蘇生させる
築約100年の古民家とその周辺域を長期に渡る対話を通し詩的なサイトスペシフィック・インスタレーションとして蘇生させた。この家でかつて使用されていた家具や小物が、床に溶け入るように設置され、トイレや風呂場にはオブジェが息をひそめ、土間には蟻地獄のように深く大きな穴が口を開ける。家の前庭には巨大な椅子のオブジェが出現し、不可思議な夢想の領域へと観客を招き入れる。古民家周辺の四季の移ろいと呼応しながら、個人の記憶と時を超えた集団の記憶とが静かに溶け合う時空間が展開される。
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「家」

「家」は、その土地の風土や人々の暮らしと密接に関わりながら存在してきた持続可能な文化である。基本的に、家はその国の自然環境にある材料で作られており、それによって地元の人々の生業、信仰、生活様式が反映されている。

荒廃したまま放置されている古い「家」を扱うことで、工業化や都市化による人間生活の変化、さらにはそれが私たちの内面生活に及ぼす影響について考えるきっかけが得られる。そしてそれは私たちの心の空間に何が気づかれずに残されているのかを想像することを可能にする。

 

今日、都市環境に生まれ育つのが当たり前になった私たちの内部にはどんな「家」のイメージの姿があるのだろう。私たちの中の「家」も、住む者がいなくなり、何かが置き去りにされているのだろうか。

「私たちの中の自然」を守る器としての家?

想像してみると、「家」とは本来、人間の「自然さ」を確保・保存するための空間ではないでしょうか?

家は、食事、睡眠、性行為、誕生と死といった人間の生活の「自然な状態」を守り、維持するための器だったのではないか。今日ではそのような「家」が担って来たはずの様々な機能は都市の中に分散し、そこに生まれ育つ私たちは、自分の生存を保証する機能を「家」ではなく都市に託して生きているといえるかもしれない。テクノロジーが進歩し、私たちの生活環境がより安全になった一方で、私たちの生活環境がより安全になった一方で、私たちの中にある「自然」、つまり生きていく上で欠かせないさまざまな能力や感覚が置き去りにされ、朽ち果てつつあるのではないか?

作品カテゴリー常設インスタレーション

2020より着手
千葉県市原市月出

協賛月出工舎、市原市、中房総国際芸術祭 いちはらアートxミックス

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千葉県市原市は大都市東京からそれほど遠くないところにある。
多くの集落では過疎化が進み、古い民家が無人のままとなっている。

この現象はどこにでもあり、地方都市の中心街のすぐ隣には、廃店舗や民家が朽ち果てた状態で放置されており、しばしば陰惨な印象を残す。

修復作業 -- 時代を遡る旅

 

この築約100年の秋田邸に対峙するにあたって、私はまず最初に、できる限り初期の状態に戻す作業から始めた。

高度成長期に設置されたであろう台所の流し台やガスコンロを破棄し、増築された床部分を取り外した。防寒用に後から張られた人工素材を引き剥がした。

更に前の時代に取り付けられたであろう天井部分を剥がした。囲炉裏やかまどの跡が出現し、軒下からは様々な農耕具が出てきた。

インスタレーションに用いられているのはほぼすべて、この家でかつて使用され、放置されていた家具や小物である。

床板については、一旦すべて取り外し、修復の後、オリジナルのものを入れ直している。

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