光の踊り手 -

田中奈緒子は、いかにして「舞台上での目の動き」に光をあてるのか

 

彼女は『Die Scheinwerfeirn(光を投げる女)』(2011) を発表し、『Absolute Helligkeit

(絶対光度)』(2012) を作り上げた。

彼女のパフォーマンスを体験する者は、舞台空間そのものが夢を見ることができること、劇場そのものが無意識的なものを抱えていることを察知する。ダンサーや役者の

身体と意思によってやっと満たされるはずの、殺風景であるはずのその場所が、実はそれ

ら独自の存在として生を営んでいるということを。田中は、光を踊らせる。この日本人女性は、光をバトンや糸のように扱い、空間を揺らがせる「光を投げる女」なのである。

オブジェはその空間の中でつま先立ちをしている。例えば引き出しは宙に浮き、3脚の足

はアラベスクを描き、メモ用紙は竜巻のように旋回して波打つ。ここには安定は存在しな

い、どこにも。光の波がやってきて影を落とし、それはジャングルのような残像を残

す- 残像、彼女がすでに子供のときに発見していたこと。晴れた日に彼女は芝生の上の

自分の影をじっと見つめ、その後視線を青い空へと滑らせた。そこには白い影が、彼女の

目の中に踊っていた。「影おくり」という遊びだった。

 

彼女の新作『Unverinnerlicht』は、ベルリンのゾフィーエンゼーレで初公演となった。

この作品の中ではスクリーンが空間の中を円を描いて動いている- そう、まさにこの“スク

リーン“(ドイツ語では“キャンバス“を意味する)、画家にとって安定した下地を提供するはずのキャンバス。しかし彼女のキャンバスは踊る。そして見方を変容させる。光が能の面を照らし、喜びや悲しみの表情を与えるように、彼女にとって光は筆なのである。それはパースペクティブによって、描くのだ。

田中の新作は、前年の日本での滞在制作時に着想を得ている。ドイツでは、古い産業施

設が文化施設に作り変えられている。日本では、人口成長と変化によって、学校が芸術空

間として生まれ変わる動きがある。彼女は廃校になった小学校で椅子を見つけた。その形

をもとにして、彼女は変形され歪められた椅子のオブジェを作り出した。

影は、そのオブジェに加えられた人為的な操作を、また現実の椅子の形に翻訳し戻す。

現実は操作される、しかし我々の目はストイックにも全てを見慣れたものに翻訳しなおす

のである。

田中奈緒子はそれに抵抗し、まるでスポットライトのようにその身体を動かす。彼女は光

を担う者として、常に、私たちの視線が、彼女の身体にではなく、私たち自身の想像力それ自体の上に注がれるように、極めて正確に“踊る“。そう、さもなければ私たちはダンスをダンスとして認識することもできないだろう。あるダンスを通して私たちが見るのは、私たちが見ていると考え得るものだけなのである。私たちはその意味で、魔法使いなのだ。

田中奈緒子はそれを見せる : 私たちは私たち自身の想像力による魔法使いなのである、と

いうことを。

( 専門誌 TANZ 2015.03 /アーント・ヴェーゼマン )

© 2019 Naoko Tanaka